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コラム「説く盛りどんぶり」 64杯目

誰の為の新食糧法か?

作る自由、売る自由が保証されて新食糧法がスタートした。
いつの間にか法律(立法府で議論し国民に政策責任の所在がはっきりする)とは違った官僚通達(どこでどういう理由で問題になり、誰が政策責任を持って、誰が結果責任を負うものかはっきりしない)等でル-ルが変更されてしまっている。或いは巧妙に外堀を埋められてしまっている。
業界はと言うと、それに慣れきって対症療法的に対応する事しかしていない。最終的には以前と変わらず、全体が保護されていれば、誰かがババを引いてもみんな黙っている事に成っている。
要は自分達がババを引かないようにしているだけである。
そして、お上崇めで対処している。
それを後押し、前引きするのが族議員と言われる人々である。
政策依存の根本構造である。市場原理ではない。
現実は、アウトロ-が得をして言う事を聞いた正直ものが馬鹿を見ると言う事になっている。
だが、「もうダメ!!」のところまで来ている。
守っても守らなくても、米価はどんどん下がり、誰もその恩恵を受けていない。
なぜこんなおかしな事に成っているのだろう。

暴論をお許し頂きたいが、最初の解り易い単純な方針通り、新食糧法の「作る自由売る自由」を詠ったものを、実践すればいいのである。
作りすぎて価格暴落で生産流通が破壊され混乱しても、国民は混乱し困る事にはならない。新食糧法は「再生産の確保」を詠っているが、再生産の確保政策など必要ない。日本のお米が無くても死ぬ国民はいないからである。
又次の年、チャンスだと勝手に再生産する者もいれば、しない者も出て来るだろう。その事は、新しい米政策のあり方と、先物など、新しいビジネスチャンスをより早く生む事にも成る。「選択の自由と自己責任」の社会である。

政治の世界では、現実として、こんな無謀な政策はありえないと思うが、しかし、それを目指した法改正であったはずである。
いったい国はどうしようとしているのだろうか。お米関連で食っている者は一時的に全て困る事になるだろうが、本当に困るのはいったい誰なのだろう?
生産者?生産者団体?流通業者?消費する国民?或いは指導する立場の行政官や政治家?
本当に誰なのだろう?
国土の事を考えると回り回って全国民かもしれないが、そうならないと解らない。そして解らないままみんな勝手な事を言い、右往左往している。

先日、明石歩道橋で将棋倒し事故があった。
みんな身動きがとれず、アップアップしているのに、責任のある立場の行政や警察は、結果的に知らない顔をしていた。
死傷者が気の毒である。
最初から解ってたそうだが、去年のニュ-イヤ-セレモニ-の時の教訓を生かし、少なくとも一方通行にすれば良かったのである。

同じ事が言える。
解り易い指示でいいのである。
解り易い単純な政策を強固にやってくれれば、我々はもっと工夫し勝手に行動する事ができると思うのである。

いい加減に「放して」ほしいものだ。
我々を「放す」と都合の悪いのはいったい誰なのだろうか?                       
BON

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