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コラム「説く盛りどんぶり」 43杯目

英語について

*掲載が遅れて申し訳ありません。(web管理:長谷川)

2001年と言うか、新世紀と言うか、(あんまり連続の中の1年と思えば、何も新しくは感じないが、それでも人間、けじめと言うか、のんべんだらりとするよりも、そんな物が在った方がいいと思う…人間は本来単純に出来ていると思っている)
とにかく、理屈なしに、明けましておめでとうございます。

年頭に当たって、ある友人から他の人にHPを紹介してもらったけれど、そこを開くと、大事な事が知れると解ってはいても、全部英語で書いてありどうにもならない。というメ-ルをもらった。好奇心旺盛であるから、そこを開いてみると、全く英語ばっかしで、大事と解っていても、辞書まで開いて読む気に成らない。こう見えても半年あまりアメリカでの生活をし日常の会話にはあんまり不自由しない方だ。それでも、調べて読む気にはなれない。日常会話と、専門英語は全く違う世界である。簡単に言えば語彙力と想像力と雰囲気力の問題である。私の友人などはフィラデルフィアを中心として約10年弱商社マンとして仕事をしていたが、それでも一番困ったのは、パ-ティでの会話だと言っていた。
何が会話の中で飛び出してくるか解らないので仕事のときより大変だったと言っていた。
日本語でも、有名になった、「言語明瞭意味不明」と言う言葉があるように、一つ一つの単語を英和しても想像してもおっつかない。インタネット関連の、ある程度専門にいたってはまず不可能に近いと思う。
その事が言いたくて書いているのではないが、問題はその人も(メ-ルを送ってくれた人)大多数の人と同じく、中学、高校、大学と都合10年間も日本の英語教育を受けた人である。
何のための、10年間だったのだろう?この事は何回もマスコミやその他の識者の間で問題視されてきた事であるが、一向に改善されるフシはない。最近の若い世代は、カラオケで、ネイティブスピ-カ-みたいな発音で英語のフレ-ズを平気で歌っている。意味はわからなくても、なんとなくだろうが、慣れると言う事はいい事だと思っている。FMでもあっちの物がそのままでオンエアされていて、耳慣れにはこれもいい事だと思う。(15年前にはなかったのです)赤ちゃんを見て居ると解るがまず耳である。聞き取れなければ話せない。
世はまさにインタネットの世界である。それも英語が中心であり、我々一般人は翻訳した物しか手に入らない。只の翻訳であればいいのだが、そこに情報の操作や恣意的誘導が入り込むとややこしい事になる。日本では出版社も放送もお国が管理しやすいように許可又は認可や少なくとも他を入れない慣習に成っている。その方が管理しやすいからだろう。従って本当のことが我々の自由意志で選択して伝えてもらえるかと言えば、はなはだ心もとない。ディスクロ-ジャ-以前の問題である。部会ミッションでアジア各地に行かせてもらったが、エグゼクティブは殆ど英語をしゃべれたではないですか。(余談だが一番仲良くなれた?庶民の人たちは都合の良い時と悪い時に言語を使い分けていた?)
今、国は、教育を変えると意気込んでいる。私などは我々の世代の状況を考えると、英語教育などは、殆ど、国策でわざと話せない読めないものにしてきたのではないかと疑っている。自動翻訳の一日も早い開発が待たれるが、パソコンの本などを読むと、翻訳力とは日本語力と思わされる。早く世界の人々と直接話がしたいもんだと思う。
それが、ネット社会の基本だと思うがどうだろうか。

BON

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