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コラム「説く盛りどんぶり」 40杯目

解らない事

新しい内閣が決まった。前哨戦の加藤さんの抵抗(決して私は乱とは思わないが、報道が、それを「乱」と言う表現を使う事自体、自分とは考えが、かけ離れている事の証拠だと思っている一人である。)にはいささか、がっかりしたがそれはそれとして、私には強いインパクトだった。加藤さんのHPのリンク先に思いを代弁しているペ-ジがあったので、それを読ませて頂いた。なにかしら報道とは違った物を感じる。一体どうなっているんだろうか?視野の狭い私にはあんまり良く解らない。
新しい内閣に、堺屋さんが抜けていた。まあそろそろ、漠然とではあるが、お辞めになるのではないかとは思っていたけれども報道で知らされるような貢献をしたとは、報道で知る限りであって、全く伝わって来なかったと言うのが、私の正直な感想である。火中にある人達とは違って、私は市井の人間であるので、そんな貢献は知る由もない。コメントによると、まず離陸はしたので、この路線を歩んで頂けば、よほどの事がない限り危機は脱したと言う事だそうである。どこがどう違ったのかは、殆どの人は解らないと思う。それよりも実感としては、益々悪くなっている感じは否めない。国を引っ張っていっている人の感覚はどうも我々とは違うらしいが、はっきりと、ここが違うと言って貰えば、解りやすいのにそれは、言ってはもらえない。どうも解らない。
我々の業界を見ても、目指した物と現実が全く反対の方向に行っている。作る自由、売る自由は、どっかに置き忘れていて、目下、価格の下落の責任のばば抜きみたいな事に成っている。国営放送のまともな見解を聞くと、自己責任でもって、民間に任したことに成っている。それはそれで一応納得が行くが、現場無視であって、突然自己責任でと言われてもそうは構造的に成っていないのが現実である。思えば、教育にして見ても、自己責任など、我々の世代は全く教えられていない、みんなと同じ事が美徳であったし、中学を卒業して就職をした人達はその当時「金の卵」ともてはやされた世代である。高度成長の歯車となって一生懸命体を動かす事が美しかった。責任はみんなで取るいい時代の事しか教えられていない。時局が違えば、会社とある面では同じで、その時その時によって必要な人間も違うし、貢献できるタイプの人間も違う。そういう意味では、一方的に、国に文句はいえない事になる。生き残る事に必死で、今まで教わった、倫理や人生観や価値観はちょっと少しの間どこかにおいて置かなくては成らないらしい。
金融機関は税金補填とゼロ金利と合併で、何とか、今から不良債権を処理しても持ちこたえられる状態になったと言う事が、離陸した事に成っているかもしれないが、逆に言うと、今から切捨てが始まると言う事にもなりかねない。一体どこを捨てるのかが、我々にとっては大事な事であって、明日は自分が犠牲者の犠牲者になるかもしれない時代が始まったと言う事であると思っている。私は絶対その犠牲者になりたくない。しかし、どうすればそうなれるのか、その方法は知らない。次のよき時代の膿を出せと言う事か。
覚悟を持たなくてはいけないのだろう。殆どのメンバ-は、全て責任を持っているので、心してかかりましょう。打って出るも良し、縮小均衡も良しである。

BON

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