日本青年会議所米穀部会
コラム説くどんぶり

29杯目 修(守)、破、離から思う日本と世界の違い 


経営理念を勉強していたときに、この言葉に出会うことがあって痛く感動し、「そうだ」と思った事があった。「修」すなわち修める事。最初は只ひたすら習い真似る事とあった。次に「破」すなわち石の上にも三年、桃栗三年柿八年、経ってから、師の教えを修め、それに、自分の工夫を少しずつ加えてゆく、そして最後の「離」である。すなわち、習い修め、しかる後に工夫を重ね、充分と言った所まで行ったその後、「自己の世界を築いてゆく資格と時期が来る」と言うものである。全くそのとうりだと思い感激した。

が。である。が、しかし、である。本当にそうであろうか?一部全くその通りの世界もある。伝統的で、そうした方がいい世界もあり、又その方がいい人も居る。だったら生まれた時は無限の可能性を持った、その他の子供の個性はどうしたら活かし伸ばす事ができるのだろうか?最初からくそ面白くも無い、「修」をやりそれから時間を掛けて「破」をやり、その後に「離」をやりなさいと教えるのだろうか?私が今の子供だったら絶対にいやである。自分にとって興味のある事、面白い事。撥ね返りのある事。自分が実感できる事を最優先にやりたいと思う。その中から親もその子の個性や力を発見できてゆくし本人も自覚できるのではないかと思う。日本にとって、今求められている「いい子」は必要ないのである.(もちろん躾は別であるが…)

話は飛ぶが、こんな環境でタイガーウッズやフレッドカプルスやジムフューリック、セルジオガルシア、マイケルジョーダン、片手を離すホームラン王(名前はなんて言ったっけ)他に色々…(全部スポーツ選手になったが、その他、ジャンルを問わずであり、科学者の中にも沢山そういう人は居るそうである)こんな人達は、日本では不運である。この日本でセオリーになっている事は、彼らはまるで無視、例えばあのゴルフのグリップである。まず「離」から始まって「破」(「破」から始まって「離」かも知れない)その後、「修」に向かっている。それも強烈な個性を残してである。そして重要な事だが結果の自己責任文化を持っている。

日本の理論は、「事後追認こじつけ認承」である。あるHPで「時代を先取りしない原則」と言う事を教えてもらったが、責任を取らないご都合主義で、本当は、全く逆であるような気がして成らない。目的と手段が逆転しているのである。こんな環境で積極的な個性が育つわけがない。国民的に一つの目標に向かっていた時は確かにある時期大変な貢献をした考え方であり、確かに一つのやり方であった事は間違いない。そしてそれを支えた精神文化に単一民族思想がある。

ところで、日本人には「海人」と「農人」と居ると言うが、プロ野球の野茂も海人のその一人であると、何年か前の新聞のコラムにあった。それに続く人が多く現れている。主張があり、みんなと変わっていると言う事は、それがそのまま「特徴」であり欠点ではない。時流と違ったり、早すぎたり、廻りや習慣と合わなかったり、するだけである。

話は少し変わるが、日本の特徴は(特徴であってすべて欠点ではないと思う)よく言われる、本音と建前の違い。玉虫色の表現、合議制、責任の持ち合い、なしくずし、先送り、等その他色々と枚挙にイトマのないほどであり、諸外国からも言われているし、我々も日々実感している。これは、日本独自の文化と言ってもいいものであると思う。そしてそれは何も今に始まった事ではない。歴史をさかのぼると、どうも少なくとも最低1400年以上は続いていそうである。近年に発生したものではないのである。(私は、富国経済、殖産工業の高度成長期以降の事かと思っていた。)

農耕民族は、組織で仕事をするのでそのせいもあるが、その昔、聖徳太子と言う人が「17条の憲法」を作った。(西暦604年)その中の言葉に、日本人なら誰でも知っている「和を以って尊しと為す」という一条がある。今でも立派に通常で通用するし、生きている。そして理由なく、倦まず弛まず親から子へ伝えつづけられている。言わば、処世の金科玉条であって、日本人ならまず間違いなく「和」を意識する。そうなっている。(恥ずかしながらうちの社内にも額に掛けて飾っている)そしてその功罪を、私自ら考えず、正しいと信じ、受け売りで社員に教育している。

ところが、外国は、全く違うのである。その違いを知らされても「あれはよその国の事」「日本は日本式」、で通して来た。

遅すぎるかもしれないが、こんなに世界が近くなり、すでに複雑に国と国が絡み合い、知らずに食べている外国のものや使っている品物の事をはじめ、日本で今起きている事(変な事件や訳の解らない政治)、インタネットや画像を通じて入ってくる、どうしても避けられない情報国際化社会、日本社会の将来の事、我々の仕事の将来の事は、もう一度我々自身の手で考え直し、「本当にそうだったんだろうか?」と言う所から再スタートしないと、親としても、経営者としても、リーダーとしても、乗り越えては行けないのではないだろうか。

今のアメリカを中心とする西欧文化主導の時代は、たかだか4〜500年(アメリカは200年)で、長い人類の歴史の中の1コマに過ぎないと思うが異文化、異民族、異宗教、異なる歴史背景などすべての意味で、グローバリゼーションへの理解は避けて通れない道であると思う

地球は丸くどこまでも続いていて、国境も無く、同じところは2つと無い事は、宇宙から見てみんな知っているのに.……



To be continued

BON